夫を育ててくれた義父母は、努力の賜物なんだと思う

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雑談
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わたしたちは日本人妻と中国人夫の国際結婚夫婦。

と言っても夫は日本生まれ育ちで二世なので、実家は関東にあります。

今日はそんな彼を育ててくれた義父母のことをお話することにしました。

スーちゃん
スーちゃん

仲の良い夫婦って、努力の賜物なんだな!という趣旨だよ。

旅行先から届いたある写真

先日、アメリカへ2ヶ月旅へ出た義父母から夫の元へこんな写真が届きました。

場所は千と千尋の神隠しの舞台とも噂される「タホ湖」

カリフォルニアとネバダ州の境目にある湖です。

義父の姉夫婦と4人で、ゆっくりと周辺をお散歩して休日を楽しんでいた模様。

スーちゃん
スーちゃん

65歳を過ぎて、手をつなぐ2人に心打たれたよ

そのほかにもラスベガスではしゃぐ姿、夫の叔母家で犬とたわむれる姿など

老後の生活を満喫している写真がたくさん届くたびに、義父母の歴史に思いを巡らせました。

決して楽ではなかった現役時代

日本のバブル崩壊直後、義父母は日本へ来日し、そこから学生期間を経て30歳頃に就職します。

学生の頃はお金もなく、寝る間を惜しんで学業とアルバイトに勤しんでいたそう。

義父は某理系大の大学院卒。

その後、努力の甲斐あり、大手日系企業の外国人枠・第一人者として会社員になりました。

そこからしばらくして夫が生まれるわけですが、中国の文化として共働きが主流です。

周りに頼れる人がいない中、夫婦共働きをしながら夫を私立理系大学まで行かせたんですね。

すべては家族のために

これは華僑の文化に通ずるものがあるかもしれません。

「すべては家族のため」「子の幸せのため」ならばたとえ胃に穴を開けようがくじけない。

父親が血を吐く姿を2回見たことが忘れられないと今でも夫がこぼすほど、字のごとく必死だった2人。

教育方針や、価値観の違い、ストレスから何度も離婚がよぎったとも聞きました。

40年近い歴史を経てたどり着いた答え

時にはお互いを憎しみあい、我慢に我慢を強いられ

「もう無理だ」と何度も思った2人が、40年近く経った今

旅行先で肩を抱き寄せ、手をつなぎ、仲睦まじい姿を次世代のわたしたち夫婦に見せてくれる。

これは簡単なようで、これまでの40年の歴史の積み重ねであることの重みをしっかり受け取りました。

わたしが義父母から学んだこと

今年で結婚3年目になるわたしたち。

現在、お腹の中には小さな命が宿っています。

>>ハイリスク妊婦日記①養子縁組を決めた途端、自然妊娠をした話

もとは他人だった2人が一緒に生活をして、子育てをして、何十年も連れ添う中でいろいろなことが起こるでしょう。

もうこの人とはやっていけないかもしれない…

と、お互いが思うこともあるでしょうし、くじけそうになることもある。

しかしそんなときこそ、この2人の写真を見て理想の夫婦となるように努力していきたいです。

普段から2人には教わることがたくさんあるのですが

彼らがわたしたち夫婦に引き継いでくれたその背中は、一生忘れることはないと思います。

この1枚で、どれだけ大きな背中なのかを物語っている。

ここにたどり着くまでには、まだまだ時間も経験も足りないけれど、わたしたちが老後になる頃には、また次の世代へとこの背中を語り継ぎたい。

スーちゃん
スーちゃん

夫の家系に嫁いでほんとうに幸せです

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